夢が念押しする

「 救いはあるの?」と夢のなかで訊かれた。わたしは「ある」と答えた、つよい確信をもって。

なぜあんなにもきっぱりと言いきれたのかわからない。夢のなかでさえも、ずいぶんはっきり言うなぁ、と思っていた。思っているけれど、これだけは確かだ、と自分の答えを信じていた。現実のわたしがもったことのないつよさでもって。

そして今日、読んでいた小説に、同じようなやりとりを見つけた。「〜することは救いになりうると思うか?」と問われた主人公が、「思う」と答えるのだ。夢と同じだ、と思った。


その夢がすすんだあとで、救いはあるかと訊ねてきたきたひとになぜかわたしは、「自分で決めて自分でやっていくしかない」と力説していた。これも現実のわたしがもったことのない熱さでもって。

そして今日、飲んだお茶のティーバッグの持ち手に書かれていたのは、「あなたはあなたの判断、決断、行動のマスターですよ」という意味のセンテンス。夢で自分が言っていたことと同じ、と思った。


夢に念押しされている。夢のなかでわたしが真摯に純粋に、救いはある、と信じていたこと、自分で決めて自分で動いていく、と思っていたことを、忘れないでねと夢に言われている。

とても印象的な夢だったので、忘れないだろうとは思っていたけれど、わたしが思うよりずっと大事な夢だったみたい。夢のなかで感じ持っていたあの確かさのようなもの、それをできるだけ長く内側に留めておければ。




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