すべてそのひと

 その声は、少しくぐもって聞こえた。

英語特有の破裂音や子音のとがりが、やさしく丸みを帯びて聞こえる。


書かれた文章は簡潔で短く潔くて明快で、

骨子だけ残したようなそっけない文章なのに、感情語はほとんどないのに、

読んでいると奥行きが感じられて情感が込み上げてくる。


朗読は淡々としていて、文章同様余分なものが削ぎ落とされていた。

けれど、きっぱりとした短いセンテンスが連なっていくと、

あたたかさが内包されていくようだった。


声や話し方は、その人の書く文章とつながっている。

同じからだから発されたものだから、そんなことは当たり前なのだけれど、

配信とはいえリアルタイムで動き話し朗読する姿を見ていて、

その当たり前のことを感じた。

文章も声も、すべてそのひとなんだ、と。



それから、朗読を聞いていると、日本語をまだるっこしく感じた。

けれどそのまだるっこしさも含めて、わたしは日本語がすきなのだと思うし、

日本語を使いたくて選んで生まれてきたのだとも思う。

それもすべてわたし、ということか。





*昨夜のレベッカ・ブラウン+柴田元幸『体の贈り物』刊行記念朗読会を視聴した感想です。


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