甘露の柄杓
梅シロップのためのレードルを買いに行く。
売り場には柄の長いレードルと、それを半分くらいに縮尺したようなものとが並んでいて、小さいほうには「かんろ柄杓」とタグが付いていた。
かんろひしゃく。
なんていい響きだろう、と思った。(あとで調べたら「かんろびしゃく」というらしかった)
柄が細くて、液体を掬う部分がまるで小人が使うコップのような小ささの、その形状と甘露を掬うという名前と、ぜんぶがかわいい、ぜんぶすてき。
ちいさく華奢な柄杓にこころを持っていかれているうちに、これを使ったことがある、と思い出してきた。
幼稚園の、花まつりの、あのときの、と。
小さなやぐらの中の、あかんぼう姿の小さなお釈迦さまの像に、小さな柄杓で甘茶をかけた。
頭のてっぺんから琥珀色の甘茶をそうっと注いでやると、幼い顔のお釈迦さまはうれしがっているような気がしたっけ。
ああ、おいしい。と言ったのは、周りの大人の誰かだったか、お釈迦さまだったか。
それとも、そのあと振る舞われた甘茶を飲んだ自分だったか。
あのとき使っていたのは、きっと、かんろ柄杓。
名前も知らず、体験だけが先にあったのだった。